第8話 樹齢360年の枝垂れ桜(園立寺/北広島町大朝)

園立寺の枝垂れ桜

広島県山県郡北広島町大朝に園立寺というお寺があります。
ここは広島県と島根県の県境あたりで、近くにスキー場が
あり、素晴らしい自然のあるロケーションです。

圓立寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、鎌倉時代初期の西暦1200年ごろに創建されたと伝わり、およそ500年前に真宗に改宗されました。

 山門

園立寺 山門

このお寺の枝垂れ桜は、お寺が江戸時代初期にこの地に移転した時に記念植樹されたと伝わっています。樹齢360年の枝垂れ桜が今も春になると人々の心を和ませます。
大勢での花見と異なる趣きを持ち、心静かに花見を楽しめる場所です。


 山門入り左側にある枝垂れ桜

山門横にある枝垂れ桜

山門を入ると左側にお目当ての枝垂れ桜があります。
境内の奥へと広がっています。


 圧巻の枝垂れ桜

大きく開いた枝垂れ桜

この枝垂れ桜は、
  樹種 江戸彼岸の枝垂れ桜
  樹齢 推定360年
  大きさ 幹周囲2.7m
  高さ 9m

まるで、傘のように大きく広がる桜のスケールの大きさに思わず、息をのみます。


見事な枝ぶり

見上げると見事な桜の花びらが空いっぱいに広がります。


 桜の木の下の石碑

「良きものは一つにて足る 高々と老木の桜 咲き照れる庭」
と幹の横にある石碑に刻まれています。
まさに、この枝垂れ桜一本で花見を満喫できます。


横広がりの枝垂れ桜

 

 圓立寺本堂

園立寺 本堂

広島は安芸門徒と呼ばれる浄土真宗の多い地です。この圓立寺も浄土真宗のお寺で、本堂の右上には親鸞聖人の像がしっかりと立っています。

そして、本堂正面の壁には丸に三つ引きの家紋が見えます。
毛利家の中国地方制覇に貢献した吉川家に由来があるのでしょうか?

本堂の中からお経が聞こえてきました。
外で漏れ聞くお経も、お寺の環境にぴったりで違和感が全くありません。

読経は日本のひとつの文化だと思います。良き声でしっかりとしたお経を聞くとうっとりします
東京の築地本願寺では、お経がひとつの観光イベントとなっています。5-6人の和尚がお経を合わせます。合唱に似て、感動を覚えたことを思い出しました。

お寺さんと言えば、葬儀や法事など、直接的な生活に関わる御縁が少ないように思います。来世だけでなく、現世を生きることに目を向け、仏教を文化として捉えてみると、仏教を身近に感じることが出来て、新しい見方、価値観が生まれるのではないでしょうか。


 お地蔵さま

かわいいお地蔵さん

地蔵菩薩を一般に親しみを込めて「お地蔵さま」と呼ぶそうです。衆生を救う現世利益の仏様です。

よく見ると、圓立寺にはかわいいお地蔵さまが、三体お立ちです。両親とお子さんのご家族のお地蔵さまでしょう。なんとも愛らしく微笑ましいものです。このようなお地蔵さまをはじめて目にしました。

お地蔵さまは、日本の民族信仰で同祖神 (村の守り神として道の辻に祀られる石仏) として、また、子供の守り神としても信じられています。

よく、災害などの不幸があったところにお地蔵さまが建立されると聞いていましたので、哀しいイメージを持っていましたが、この圓立寺のお地蔵さまは、本来の前向きに仕合せを願うお地蔵さまのイメージを受けました。


お地蔵さまは、地蔵菩薩として現世の仕合せの御利益を願い、また、悲しい出来事を託してきた、日本人の生活に密着した仏様であったことを感じます。


「桜」と「お地蔵さま」は、日本人の心のルーツの一つである事をあらためて思いました。


以上






第7話 梅の木の剪定を考える 梅の豆知識

剪定のコツがどうもうまく理解できません!


大きな古い梅の木

谷間の湧き水の水源の近くに梅の木があります。毎年、2月になると、必ず、かわいいピンク色の梅の花を咲かせます。

毎年、淡いピンクの花が咲きます

そして、5月には、果実がなります。昨年も40個程度の果実をとることができました。
放ったらかしで、面倒見をしていないのですが、小ぶりですが、きれいな果実がなります。
この梅の果実を使って、自家製の梅干しや梅酒にして楽しんでいます。


大きな古い梅の木からとれる小粒の果実


 自然のままの梅の木

この梅の木は、10年以上も剪定をせず、放ったらかしの状態です。ここまでボサボサになってしまい、どのように手を付けて良いか分からない状態でした。それでも、毎年、梅の果実がなります。

梅の木の剪定時期は11月末から3月が果実のなる枝作りに適していることから、2月になり、今年こそは、剪定してみようとやっと、腰を上げました。


長い間剪定をしていない細い枝でもつれた梅の木 (1月)

写真は、1月の冬の時期に撮影した梅の木です。木の高さは2.5mほどになります。葉々は全て散り、枝の部分が丸見えになっています。

細い枝がもつれるほどに、ボサボサに生えていることに、今頃になって気付きました。

開花がはじまった時期で、新しい細い枝には花芽と枝芽があります。梅の特徴です、まず、花芽が開花します。1ヶ月後には枝芽から枝葉が伸びはじめます。


 剪定方法

どうやって、剪定するかについて、まず、方法をまとめてみることにしまた。

《NHK趣味の園芸テキストを参考》

「実のなる木」の記事から引用してみました。

ずっと剪定していない木

《まず、長い枝を出します。剪定をしていないと細くて弱々しい枝しか付かず、枝の更新ができないため、今年伸びた部分を半分残して切り詰めます。

混み合った枝は、適度に間引いて風通しを良くします。
今年だけの剪定ではい終わらず、1年後には枝を整える作業が必要になります。》


 実際の剪定

次の手順で進める事としました。

 1)古く枯れた枝の切り出し

添付の写真にあるように、古い細い枝が絡まっていますので、これを先に落とすことにします。よく見ると既に枯れた枝が、そのまま残っています。

加えて、長い枝が出るよう (見えるよう) に新しい枝も、適当に落としてすっきりさせます


Before 古い枝の剪定前

古い枝を落とす作業を行ったのが下の写真です。比較すると、古い枝(白っぽい部分)がなくなり、すっきりとしているのが分かると思います。



After 古い枝の剪定後


 2)果実のなる細い枝が出るよう枝の剪定 

梅は前年に伸びた枝に花が咲き果実がなります。花が咲いても、すべての花に果実がなるわけではありません。30cm以上の長い枝には果実がほとんどなりません。一方、10cm〜20cmの中くらいの枝、10cm以下の短い枝には高い割合で果実へと成長します。

このことから、中くらいの枝を多く残すと同時に、短い枝が多く発生するように枝の剪定を行います。実がなりにくい30cm以上の枝は、鉛筆くらいの太さであれば、先端を1/4切り詰めることで、果実のなる細い枝を出させることができます。


<枝の剪定のヒント>

枝の状態を実際の梅の木に対比させてみます。


Before 梅の木の枝の様子

写真は、古い枝を切り落としたが、新しい細い枝は処理してない状態のものです。細く長い枝が伸びているのが分かります。30cm以上の長い枝がほとんどで、これでは、果実がほとんどならない状態です。

枝の剪定のヒントを参考に、10cm~20cmの枝の長さになるように剪定をしたのが下の写真です。

来年度に枝が伸びるように、長い枝を出すようにすっきりさせます。枝先をカットし、来年の枝を考慮した剪定をしています。


After 細い枝を10~20cmの長さを意図して剪定






 私の梅の木の剪定の基本(まとめ)


枝の構成の基本は、
 木の中心となる長い枝を数本出す
 基本となる太い長い枝を決め、この枝から細い枝を出す。

 新しい細い枝を出す
 この基本の長い枝から、新しい細い枝が出るようにする。
 その年の新しい細い枝から花が咲き果実がなる。

 細い枝の剪定
 果実がなり易いように10~20cmの長さに剪定する。

この「枝の更新」がポイントのようです。

うまく剪定できたかどうか、梅の剪定は初めてのことで、自信のほどは、小さいのですが…。

果実のなる5月が楽しみです。

今回の記事は、梅を育てる話でした。果実は、食して健康に効果があること。花を見る、鑑賞する梅もあります。次回はこれらの実践編と称してまとめて見たいと思います。

それまでの参考に梅の豆知識として、少々付け加えました。


《梅の豆知識》

原産は中国(中〜南部)らしいとの事です。日本へは1200年以前に渡来したと信じられており、最初は白梅ばかりだったそうです。

ちなみに梅が渡来したと伝えられる8世紀は、飛鳥時代で、西暦710年は元明天皇の西暦710年の平城京への遷都があり、奈良時代の始まりと言われています。

 花梅と実梅

梅に花観賞用と食用があることが分かりました。
 
花梅とは、花を観賞するためにつくられた梅の品種の総称だそうです。また、実梅とは、梅干し、梅酒にする果実を収穫する品種の総称であるとのことです。

花梅と実梅の区別はあまいで、花梅と実梅を両立している品種もあるそうです。

梅の渡来の歴史から、本来は食用として、白梅が入ってきました。観賞用の梅は、白梅から紅梅として品種改良されたようです。

観賞用の紅梅の登場は平安時代で、9世紀半ばころまで貴族にもてはやされました。やがて、「儚さ」を好む平安貴族文化の中で桜が主役となっていきます。


 一重と八重

八重咲きの梅の花

梅の花には一重と八重があります。
八重の花弁は、おしべが花弁に変化したもので、八重咲の梅は、ほとんど果実のならない観賞用の花梅ばかりです。

 梅の果実の効能

難しい事は抜きにして、簡単な内容を列記してみます。
梅は、昔から、保存食の梅干しとして重宝されています。

 1)ミネラルが豊富
カルシウム、鉄、マグネシウム、亜鉛などを多く含む。

 2)疲労回復効果、老廃物の溜りを抑える。
クエン酸、リンゴ酸などの有機酸が糖質の代謝を促し活性化する。

 3)食用の増進
クエン酸が唾液の分泌を促進し食欲を増進させます。

 4)体のアルカリバランスに有効
健康のためには体液を弱アルカリ性に保つ必要があります。ご飯や肉魚は酸性食品であるため、アルカリ性食品の梅がバランスをとることが出来ます。

 5)カルシウムや鉄の吸収の促進
クエン酸には、吸収率の低いかカルシウムや鉄の吸収を促す効果があります。

 6)血液をサラサラに
梅のビルビン酸が、肝臓機能の強化に有効といわれており、梅を加熱した食品、ジャムや梅肉エキスは糖とクエン酸が結合したムメフラールが血流を改善し、血栓予防や動脈硬化の生活習慣病の予防に役立ちます。

 7)梅の殺菌作用
クエン酸は殺菌・除菌効果に優れています。おにぎりや弁当に梅を入れると、微生物の繁殖を抑え食中毒の予防となります。

 8)美肌・老化防止・浮腫み解消・肌のシミ・シワ防止
クエン酸は新陳代謝を原因のとなる内臓の老化を促し、体内の老廃物の排出を促し、浮腫みの解消。肌など、老化防止を期待できます。



梅の持つ、クエン酸 & カルシウム & 鉄分が健康に効果的

良いことづくしの梅の果実です。

テーマの「剪定」から少し外れてしまいましたが、日ごろ、健康に気を配っている私たちには、豆知識としては大切だと思います。酸味を気にする方もいるかもしれませんが、この機会に、食卓に梅干しを加えてみようと思います。

以上




















第6話 うさぎが生息する 大久野島の自然

大久野島 (うさぎの島)


瀬戸内海国立公園にある大久野島 (うさぎ島)へは、竹原の忠海港からフェリーで渡ります。約15分の時間です。
面積:0.7平方km、海岸線長:4.3kmの小さな島です。

この島は、野生のうさぎと太平洋戦争中の毒ガス製造の施設跡を見ることができます。

野生のうさぎに直接、触れたり、エサを与えたりできる人気の観光スポットです。島のいたるところにうさぎが生息しています。800匹ほどと言われています。

忠海港にあるうさぎの島案内の看板

太平洋戦争の毒ガス製造の廃墟が残っています。この大久野島は戦争中は地図から島が抹消され、戦争末期まで兵器の毒ガスを製造と貯蔵していました。毒ガス島と呼ばれ、島の全体にそれらの施設の跡が残っています。


毒ガス貯蔵タンクと部品

動物パークと戦争遺物の組み合わせがユニークで、なぜ、この毒ガス島にうさぎが生息しているかは、分かりませんが?

毒ガスの試験にうさぎが使われていたことは確かですが、終戦でそれらのうさぎはすべて処分されたとのことです。今いるうさぎをどこから連れて来たかについては、いろいろな説があるようです。


大久野島地図

ヨーロッパからの観光客がフェリーに乗船していました。近頃、広島市内に欧米からの観光客をよく見かけます、平和公園が目的でしょうか。大久野島にも平和の勉強に来られたのでしょうか。


大久野島 プレート


波穏やかな瀬戸の海の島々

野生のウサギ

大久野島地図で、大久野島第一桟橋に到着後、上陸し、島を時計回りに徒歩で回りました。
フェリーが島に到着すると、広場にまず、数匹のうさぎが目に入ります。


幹部防空壕跡近くにまだ小さな子ウサギ

この子ウサギは、まだ、小さく柔らかそうできれいな毛並みをしていました。

うさぎのエサはフェリー到着場の売店で購入できます。ドライフードや野菜があります。
人慣れしています。エサを求めて、走って飛び跳ねてやってくるうさぎ、これは、とてもかわいい。猫や犬と違うかわいらしさがあります。


休暇村の近くにいました。伸びして日向ぼっこのうさぎ


北部砲台跡の近くでみつけました 3匹のかわいいうさぎ

観光客からたくさんのエサを貰っているのでしょう、マイペースで食べます。 エサが十分足りていることから、繁殖が旺盛となりうさぎが増えたともいわれています。

道路の脇に置いてある水受けの水を飲むうさぎ

 通路 (道路)のいたるところに、水を入れた受け皿が置いてあります。 これだけの水の受け皿に水を常に入れておくのは大変でしょう。


桟橋近くの野菜を食べるうさぎ

ドライフードと野菜のどちらを好むかと言うと、野菜よりドライフードのような感じを受けました。

休暇村

フェリー発着場から歩いて島の中ほどあたりに、国民宿舎があります。ここで、一息。昼食をとりました。
瀬戸内の島々が一応に見渡せる良いローケーションにありました。
休暇村 大久野島

戦争の傷跡


 幹部用防空壕跡、陶磁器製毒ガス製造分部品器具、三軒家毒ガス貯蔵庫跡、長浦毒ガス貯蔵庫跡、北部砲台跡、発電所跡をまわりました。


毒ガス貯蔵庫跡


毒ガス貯蔵庫跡

毒ガス貯蔵庫跡の説明プレート



発電場跡


北部砲台跡


まとめ

野生のうさぎ

 うさぎの生息管理が十分にされていないことが気になりました。島のいたるところにうさぎが生息し、山肌や道路わきにうさぎの掘った小さな穴が多く点在している。必要以上のうさぎが食べもしないエサが道沿いに放置されている。毛並みがぼそぼそで決してきれいではないうさぎも多く、衛生面が少し心配なことを思いました。


サザンカでしょうか?道のそばに咲いていました

道の横に小さなうさぎの穴が点在しています


 本来がうさぎの自然の生息地でなく、人工的な生息地のため、行き届いた管理が難しいのではないかという印象でした。

毒ガス製造施設跡

 環境省の管理となっています。化学兵器を旧日本軍が使用した跡を残すものですが、毒ガスという非人道的な兵器を使用したと言うことに重苦しさを感じるとともに、当時従事した人たちが毒ガスの後遺症に苦しんだことも聞きました。

自然をゆっくりと楽しむ

ここは、休暇村があるように、瀬戸内海国立公園の一角で、瀬戸内海の自然をゆったりと味わう目的をもって行くと良いところだと思いました。一度、瀬戸内の島々の夜景も見てみたいものです。
瀬戸内の自然を堪能できることに加えて野生のうさぎに触れる楽しい経験をもつことが出来ました。






第5話 薬師如来さま ひろしまの文化財 古保利薬師像  (北広島町)

古保利薬師堂

福光寺 (現在は廃寺) の境内にある古保利薬師堂に、国宝に指定された古保利薬師像が安置されています。
ここは北広島町にある、紅葉の美しい景観も持つ、意外と知られていないスポットです。
中国自動車道の千代田インターから自動車で約5分の距離にあります。

入口は少々分かりにくいのですが、「古保利薬師堂」の石の道標のある場所から約100mの参道があります。この参道を歩き、石段を上ると到着、まず山門が目に入ります。


福光寺山門

福光寺跡

9世紀初めに弘法大師により建立されたこの真言宗古保利薬師福光寺は、戦国大名の吉川氏の菩提寺として栄えましたが、吉川氏がこの地を去った後は、衰退し廃寺となっています。

福光寺の紅葉

お寺の境内の紅葉は、緑色〜黄色〜赤〜真っ赤のグラデーションが見事です。美しく広がる色の世界に思わず目を奪われます。
ちょうど、紅葉の見頃に訪れることができました。古びた寺の境内の環境が紅葉を引き立てます

自然は様々な色彩のグラデーションの世界を展開してくれます。例えば、虹が見せる赤〜青のグラデーション。それぞれの色が繋がりと調和を見せます。紅葉の緑〜赤のグラデーションは、移りゆく四季に浸る心の安堵感を与えてくれるものです。

よく写真などで美しい紅葉を目にしますが、綺麗だな…と頭の中で納得します。しかし、実際の紅葉を目にすると、心と身体が反応します。ここは、まさにそれを感じさせる場所です。


神仏習合の名残

お寺の左右に小さなお社 (神社) が祀られています。
日本に特有の神仏習合の名残です。

6世紀半ばに大陸 (中国、朝鮮を経由) から仏教が日本に入ってきました。その優れた思想体系、仏教美術、科学技術、医療知識をもつ仏教は、日本土着の神祇信仰である神道と融合しひとつの信仰体系として再構築されました。

神道は、多神教であり敵対するよりは仏教の神も仲間入りさせるという柔軟さとおおらかさを持つ日本の神々とその神社思想です。日本の信仰のルーツはここにあるように思います。

仏教は、8世紀には厩戸皇子 (聖徳太子) の認知を得て国家宗教の道を開いていきます。こうして、江戸時代に至る千年の時を経て日本に根付いて行きました。

明治元年、明治政府は神道の国教化政策を行うため、神道と仏教をはっきり区別すべく、神仏分離令を出しました。仏教の排斥ではなく、神道は神社、仏教はお寺と役割が明確に分かれました。

数年後にはほとんどの神社から仏教的な色彩は消えていきました。しかし、今でも、その習合の跡が各地に残っています。


お社からお寺の境内を見る
お社の鳥居の上から、なんとも言えないお寺の境内が目に入ります。私には、お寺と神社が同居している環境は、不思議でもあり、独特の雰囲気があるように感じました。



古保利薬師像

山門の奥にある古保利薬師収蔵庫には、平安時代初期の弘仁・貞観時代に作成された本尊の薬師如来座像が保管されています。国宝に指定されています。


古堀薬師座像

 薬師如来とは

病気を治して衣食住を満たすという「十二の大願を立て、生きている間に願いを叶えてくれます。阿弥陀如来のように死んだ後に安らぎを与えるのではなく、現世に安らぎを与えてくれるのが特徴です。
薬師如来の像容は、薬壺を左手に右手の薬指の前に出しています。
薬師如来は日光菩薩と月光菩薩を脇待として三尊として並ぶことが多いということです。

この薬師如来像に加えて、重要文化財指定された11体の日光菩薩立像、月光菩薩立像、千手観音立像、吉祥天立像、十一面観音立像 3体、四天王立像 4体 の仏像が保管されています。いずれも木像で多くは千年の年月が経過しています。

仏教について知識がなく、この機会に、それぞれの菩薩・観音さまの役割を少し調べてみました。

左から四天王2体、吉祥天、千手観音、月光菩薩

左から日光菩薩、十一面観音3体、四天王2体

 日光菩薩とは

日光遍照菩薩とも呼ばれ、太陽の如く光を照らして苦しみの闇を消すと言われています

 月光菩薩とは

月光遍照菩薩とも呼ばれ、月の光のような優しい、慈しみの心で煩悩を消すと言われています。

 吉祥天とは

もとはインド神話の女神で、美と豊穣と幸運をつかさどるラクシュミー (ヒンズー教の女神の名前) です。密教では美女の代名詞と言われて信仰されていました。

 千手観音とは

正しくは千手千眼観自在菩薩で、千本の手がありその手の掌には目が付いています。手は多くの人々に救済の手を差し伸べ、目は人々を教え導く知をあらわすとされています。災難、延命、病気治癒などあらゆる現世ご利益があるとされています。

 十一面観音とは

苦しむ人をすぐに見つけるために、頭の上に11の顔があり、全方向を見守っています。現世利益、死後成仏という様々なご利益があるとされています。

 四天王とは

帝釈天に仕え、仏教世界の南北東西を守る守護神で、東方を護る持国天、南方を護る増長天、西方を護る広目天、北方を護る多聞天からなります。戦勝祈願、国家鎮護のご利益があります。

ちなみに、古保利薬師保存館の入館料は、大人300円、写真撮影は追加500円でした。


まとめ

秋の紅葉の美しさは心に強く残ります。秋から冬、冬から春、夏へと移りゆく日本の四季、止まることのない自然の営みの中に生きていることを感じました。

神に手を合わせ仕合せを願う、仏像に手を合わせ仕合せを願う、思い通りにならない人生を神仏に託し、仕合せを願うことは、いつの時代も同じで変わっていないことを思いました

もうひとつ、今まで仏教について誤った捉え方をしていたことに気付きました。仏教とのかかわりと言えば、お葬式。死んで極楽浄土の世界に救い取ってもらう、死後の世界、来世の話しが強く印象にあります。日常生活とは離れた存在感がありました。

信仰対象の仏像を調べているうちに、現世の仕合せを叶える多くの仏像があることを知りました。仏教も人として生きるあり方を教えていることを再認識しました。


*追記

道の駅 舞ロード 千代田 IC

「レストラン響き」があります。バイキング形式のレストランです。地産地消の野菜、穀物など、新鮮な食べ物を提供してくれます。
「玉子かけご飯が美味しい」と知人に聞いて、訪ねてみました。
地産地消のお米を使って窯で炊いたご飯と取れたての玉子を使った玉子かけご飯の美味しかった事。調味料も何も使わない、醤油のみの味付けに、改めてその食材の持つ美味しさに感動しました。子供のころに食べた味そのものでした。
地産地消の卵かけご飯